公園といっても現在よく見かける整備された公園とはほど遠く、
広い空間といった方がぴったりの広場でした。
ヤギが草を食べていることもありました。
植木も管理されるというより雑草が多く、大小の石ころも転がり・・・
といった風景です。
そこにベビーブームの落し子たちが蟻の子のように遊んでいたものです。
川の向こう側は墨田区で、お寺や神社が連なるやはり広い公園が
連なっていました。
そういえば、この辺の小さな野球場から、あの王監督が生まれています。
同じ時代、川をはさんで同じ空気を共有していたのですね。
台東区側の山谷堀川は今戸橋で隅田川に合流します。
今戸橋から今戸神社にかけた一帯は今戸と呼ばれていました。
河童にまつわる話です。
川や池の近くでは河童に絡んだ話をよく聞くものですが、
河童伝説は関東から起こったもののようですね。
この話は、隅田公園で遊び疲れ、一休みに寄った同級生の家で、
その友人の祖父が話してくれたものです。
何人ものわんぱく小学生がし〜んと聞き入っていた光景が可笑しく
思い出されます。
今、いろいろなところから浅草の民話を集めていますが、
昔の文献でもときどき見かけるので有名な話のようです。
そのおじいさんが話してくれた内容というのは・・・
現在は立派なリバーサイドスポーツセンターや屋外プール、
テニス場、野球場、陸上競技場などが新しく建て直されて利用
されていますが、このお話の事件が起きた頃のこのあたり一帯は
浅茅が原と呼ばれるあしの原で、農家が点在するさびしい
水田地帯でした。
その農家の一つに白い馬を飼っているお百姓さんがいて、
朝早くいつものように馬を出そうと小屋へ行きました。
馬の様子が普段とはやや違うように感じましたが、ともかく
小屋から出して確かめようと、手綱を引いたけれど
馬はびくとも動かず、何かを訴える気配です。
不思議に思ったお百姓さんが馬の後ろへ潜り込むと、
馬のお尻の方に1mくらいの黒いものが動く気配がします。
しっかり目を凝らしてみると、その黒いものは河童でした。
河童が馬の尻尾をつかんで引っ張っていたのです。
お百姓さんは怒って、河童を捕まえたのですが、
その河童は泣いて謝って、わけを話し始めました。
「川の中に悪い魚がいて、いろいろと私たちの生活の邪魔をするんです。
困った私たちは集まって、その魚を捕まえようということになりましが、
わなを作るには白い馬の毛でないと役に立たないのです。」
お百姓さんは河童をかわいそうに思い、
何本かあげてもよいと思ったのだが、
「沢山抜くと馬が弱るから」
と答えました。
すると、河童は
「3,4本でいいから」と手を合わせます。
そのうえ「お金も明日の朝、持ってきますから」とも言いました。
お百姓さんは、河童がお金なんか持ってこないだろうと
期待しませんでしたが、河童の家族たちを思って、
「3,4本ならいいだろう」と抜いてあげました。
河童は馬の白い毛を受け取ると、大喜びで隅田川の方へ走り、
すぐに葦の原に隠れて見えなくなりました。
次の日の朝早く、昨日あったことを思い出しながら
馬小屋の前に来ると、入口の足元にはお金が置いてあります。
お百姓さんは河童の話を少しでも疑った自分が恥ずかしくなった
ものです。
その後しばらくし、何日かたつと、またお金が置いてあります。
それも一日だけでなく何回か続くようになり、
お金も小判になり、大判になり、だんだん増えていくのです。
やがて、そのお百姓は大金持ちになり、不思議なこともあるもだと
思いながら、「あの時の河童のおかげだ」と、
河童の置物をつくって、神棚に祀ったのでした。
当時の私たちはどんな顔をして聞いていたのか、
話してくれたおじいさんに聞いてみたい気がします。
かっぱといえば、浅草には合羽橋という商店街があります。
ここにも河童にちなんだ話があるのですが、それは後に譲るとして、
近くの松が谷という所には、かっぱ寺と呼ばれる曹源寺があります。
このお寺には河童大明神という小さなお堂があり、尊像が祀られています。
今戸焼でつくられた茶色の河童です。
今戸焼は今戸で焼かれた焼物ですが、現在では1軒だけになりました。
今戸焼についてはゆっくり書くことにします。
ところで、このお寺では波乗り河童という小さな河童のお人形が
いただけましたが、現在はどうなっているでしょうか。
お寺の前はよく通るのですが、しばらく中へは入っていません。
久しぶりに寄ってみたくなりました。